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郡山城 郡山城極楽橋再建整備工事

竣工年 2021.02

グナワン・インドラ

本案件は担当者にとって非常に貴重な経験でした。土木、学芸員、文化、多様な分野が関わって、構造の安全性だけではなく様々な観点を考慮して本極楽橋を設計しました。

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建築概要

所在地  : 奈良県大和郡山市城内町
用途   : 歩道橋
規模   : 高さ:約10m、幅5.4 m 長さ 22.12m
形態   : 5径間の宝珠柱高欄付き反り橋
構造種別 : 架構フレーム - 鉄骨(木被覆)
       行桁、スラブ - 木造

プロジェクト背景

2016年4月、大和郡山市内篤志家より公益財団法人 郡山城史跡・柳沢文庫保存会に再建を目的とした寄附金をいただき、今回の極楽橋再建計画が実現した。奈良県の指定史跡の区域内であることから、郡山城極楽橋再建整備委員会が設立され、専門の先生方より多大なアドバイスを頂き再建を進める運びとなった。
基本方針として、文献史料及び城絵図の調査及び発掘調査を実施し、当時の極楽橋の形態を推定し、保存すべき遺構(石垣や礎石など)を守りつつ、現代の技術を用いて、利用者の安全確保、耐久性向上、維持管理性に配慮し再建設計を行った。設計の体制はKKEのOB木村氏が中心となりKKEの篠原とインドラが連携し、伝統的な意匠の観点も含めて構造安全性、地盤の安定性、居住性の検討まで行った。

想定される極楽橋の形態
極楽橋は、本丸側と毘沙門郭側の間(内堀部)に架かっていた橋であり、1876年(明治9年)までに撤去されたが、写真などは発見されておらず、様々な城絵図の調査と、発掘調査により当時の形状を推定した。発掘調査の結果、内堀部より年代の異なる2種類の遺構礎柱が検出された(図1)。第一期として江戸前期頃と推定され、内堀部に橋脚支柱計9本からなる形態。第二期として江戸中期以降頃の橋脚支柱計6本からなる形態が推定された。文献史料については、江戸前期頃の城絵図は少なく、多くは江戸中期以降のものであったが、架構形状は内堀部は空堀であり、そり橋であることが推定された。これらの調査の結果を踏まえ、整備委員会での協議の結果、江戸中期以降の極楽橋の形態を、基本方針に準拠して再建することに決まった。

図1 発掘調査結果

構造設計概要

再建極楽橋の架構形式を図2に示す。橋脚及び鉛直ブレースは耐久性及び維持管理に配慮し、鉄骨を心材として、厚さ60mmの木板にて被覆した鋼材と、木材の橋梁からなる木と鉄骨による部材混合構造である。鋼材は耐久性に配慮し溶融亜鉛メッキ処理を行い、アンカーボルトや木材と鋼材の接合具にはステンレスを採用した。行桁方向の地震力は橋梁の両端の基礎に負担させ、梁間方向の地震力は橋梁の両端の基礎及び鉛直ブレースを設けた柱脚に負担させる。水平構面は木板床の下側に、木製の水平ブレース設けた強度型の架構計画である。基礎構造は、遺構保護の観点から、内堀部は遺構を避け架橋の中心より北側6.7m南側4.4mの離れた位置に鋼管杭を設け、PRC基礎梁の丘立ち形式で支持させた。橋梁端部及び本丸テラス部分は石垣の安全性を確認した上で直接基礎形式を採用した。

図2 架構計画

遺構の保護に対する配慮

本設計は通常の構造設計とは異なり、遺構の保護が最優先であった。設計事例が少ないため設計上の配慮を紹介する。基礎の直下にある遺構を保護し、かつ想定される架構形態を目指して、施工者にも確認して基礎は遺構より15㎝以上の安全距離を確保した。PRC基礎梁は丘立ちとなるため、歩行振動に対する検討を行い安全性に配慮した。
次に直接基礎とした部分は、杭基礎とすると逆に石垣に悪影響を与える可能性があること、負担荷重が小さいことから、石垣に若干の荷重を与えることを前提に直接基礎形式を採用した。石垣への荷重負担を極力軽減するため、石垣と基礎の距離を十分に確保し、円弧すべり検討を行い斜面及び石垣の安定性を確認した(図3,図4)。施工時は、石垣間の変形をモニタリングしつつ工事を進めることで遺構の確実な保護に努めた。図5~7に主な施工時の写真を示す。図8に竣工写真を示す。

最後に

極楽橋が蘇ったのは約150年ぶりであり、完成式典では歴代城主の子孫の方々など多く方が笑顔で出席された。
きっと当時も同じ気持ちで完成を楽しみにされていたと感じた。




MEMBER

木造キャプテン
篠原 昌寿

木質アドバイザー
野田 卓見

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